2017-08-07
4.4日早7:40从北京乘坐国航ca1385(07:40出发,09:40到达)直飞襄阳,然后乘坐机场大巴到达市区。11:00入住如家快捷酒店(人民广场店,解放路88号,近银泰百货,电话0710-3626999)。午餐后直接乘512路公交前往古隆中风景区(古隆中位于襄阳城西13公里处,行程约1小时,返回的末班车是18:30)。
4.4朝7:40に、北京から国航ca1385(07:40出発,09:40到着)に乗り襄陽直行し、空港バスで市内に到着した。11時に如家ホテルに泊まって(人民広場の店、解放路88号、銀泰デパートに近く、電話番号0710-3626999)。昼ごはんの後で直接に512路線のバスで古隆中観光地に向かった(古隆中が襄陽城西13キロから離れて、1時間行程で、かえる終電は18:30)。
13:00到达古隆中景区,开始游览。【古隆中景区】(门票63元/人)是三国时期诸葛亮青年时代(17-27岁)隐居的地方,人文景观丰富,景区距今已有1700多年的历史,现为国家4a级景区。古隆中景点分布在左路、中路和右路三个方向。中路是石牌坊、躬耕田、老龙洞、南山亭、三国文化村寨等景点;左路是琴台、棋盘石、抱膝石等景点;右路是三顾堂、诸葛草庐、武侯祠、隆中书院、腾龙阁等景点。其中右路是主景区。
13:00に古隆中観光地について、観光し始める。「古隆中観光地」(チケット:63元/人)三国時代、諸葛亮の靑年時代(17-27歳)の隠居所で、人文景観が豊富で、観光地区になってから1700年余りの歴史を持ち、今は国家4 a級の観光地である。観光スポットが左路、中路和右路の三つの方向に分布している。中路には石鳥居、躬耕田、老龍洞、南山亭、三国文化村などの名所があり、左路には琴台、碁盤の石、抱膝石などの名所、右路には三顧堂、諸葛草廬、武侯祠、隆中書院、騰龍閣などの名所。その右路がメインスポットである。
进入正门,正对的就是【石牌坊】。牌坊为清光绪十九年(公元1893年)湖北提督程文炳所建,高约六米,长约十米。其建造材料为青石,四柱三牌楼式,四周雕有双凤朝日、鹿鹤同寿、麒麟送子、赤虎朋寿等图案。牌坊正面雕刻“古隆中”字样,两侧雕刻“澹泊明志,宁静致远”,两边门柱上雕刻“三顾频繁天下计,两朝开济老臣心”。牌坊背面的雕刻“三代下一人”,称颂诸葛亮是夏、商、周以后的第一人杰,两边门柱上雕刻“伯仲之间见伊吕,指挥若定失萧曹”。石牌坊后面,是一个荷花池,上面建有【风荷伴月亭】,颇有雅致。
正門に入って、真正面が「石鳥居」である。鳥居が光緒の19年(西暦紀元1893年)に湖北提督程文炳が建てられたもので、高さが6メートルで、長さが10メートルである。鳥居は建設材料が靑石、三門四柱式で、周りには双鳳朝日、鹿鶴同寿、キリン子授け、赤タイガー朋寿などの絵がある。鳥居の正面には「古隆中」、両側には「澹泊明志,寧静致遠」が彫刻されている。門柱には「三顧頻煩なり 天下の計,両朝開済す 老臣の心」、鳥居の背面には「三代下一人」が彫刻されている。諸葛亮は夏、商、周後初めて傑物と称賛し、両側の柱に「指揮が柏仲萧曹と比べられるレベルである。」が彫刻されている。石鳥居の後ろには、蓮の池があり、「風荷伴月亭」がそこに建てられ、優雅である。
沿着牌坊往右边的山路上去,就是【隆中书院】。隆中书院的主体,是诸葛亮与襄阳古隆中陈列馆,馆内用沙盘、雕塑以及声光电形式解析了诸葛亮所处的历史背景、三顾茅庐和隆中对策的细节。隆中书院正厅名曰静砺堂,意在还原诸葛亮隐居出山这一由积淀到迸发的艰难历程。静砺堂两侧厢房,分别介绍诸葛亮生平以及卓著的战功和高深的谋略。静砺堂前,立有一尊诸葛亮年轻时代塑像,羽扇纶巾,可惜塑像比较脏,稍有不雅。
鳥居右の山道に沿って行くと、「隆中書院」である。隆中書院の主体は、諸葛亮と襄陽古隆中陳列館であり、館内には地形の模型、彫刻や諸葛亮を取り巻く歴史背景、三顧の礼と隆中対策の詳細を声光電形式で分析した。隆中書院正庁が静礪堂といい、諸葛亮が隠居出馬これまでの苦しい過程を意味している。静礪堂の両側にそれぞれ廂房があり、諸葛亮生涯や顕著戦功と高尚の謀略を紹介する。静礪堂の前に立ってある諸葛亮若い時代羽扇綸巾像で、残念ながら像が汚れて、ちょっと不雅だ。
沿着山路继续前行,不远处就是【武侯祠】。武侯祠是一个四进三院的层台建筑,除第三进为卷棚式外,其他都是单檐硬山式。中院有左右廊房,院中两棵参天古柏,点缀着武侯祠的古朴。山门以高矗的仿木结构砖雕牌坊构成。祠内建筑多采用木步架与硬山砖墙组合,屋脊多施雕饰,其风貌在朴实素雅中又显得多姿多彩,具有浓厚的地方风格。祠前有石狮一对,造型十分生动,雕作极其精美,须弥座式的基座上还有奔马,舞凤等浮雕,具有很高的艺术水平。
山道に沿って歩き続けて、近くには「武侯祠」がある。武侯祠は四進三院の建物で、第三進が巻スタジオ式のほか、残りは全部単檐硬山式である。中院には左右廊房があり、院内には高い古柏が聳え立っていて、武侯祠の古風と互いに映える。山門は仿木構造磚雕鳥居構成である。祠内の建築の多くが木歩機と硬い山煉瓦を組み合わせを採用している。屋根を彫刻して飾ってその風貌は素樸でも見え多彩でもあって、濃厚な地方スタイルを持っている。祠の前に、石獅が一対いて、スタイルは非常に生き生きしていて、須弥座式の台座には奔馬舞鳳もあって非常に高い芸術レベルである。
武侯祠大殿东北角是一个亭阁式的建筑,为【铜鼓台】,民国二十二年(公元1933年)刘骥为安放诸葛铜鼓所建。 诸葛铜鼓是清同治初在广西出土,由广西藩司李承思捐送出来的。铜鼓高二尺许,阔一尺八寸左右,旁铸四蟾蜍,工艺精细,相传是诸葛亮南征七擒孟获时用过的战鼓。此鼓正放可敲打作鼓,鼓声响亮,倒放可做炊具煮饭,一物二用,实乃一件珍贵文物。
武侯祠正殿東北角は亭閣式の建築があり、銅鼓台である。中華民国22年(西暦紀元1933年)劉驥が諸葛銅鼓を安置するため建てたものである。諸葛銅鼓は清同治初広西で出土し、広西藩司李承思から寄進されたものである。銅鼓は高さが二尺ほど、広さが一尺ぐらいで、ヒキガエルが横に刻んで工芸精細である。諸葛亮は南征した時に使われたものといわれている。このドラムがドラムとして使える、音が大きく響く。転んで、食器としてご飯も炊ける。一つの物で二つの用途でできて、貴重な文物である。
过了武侯祠继续前行,是刘备三顾茅庐、诸葛亮隆中对策的纪念堂【三顾堂】。三顾堂建于清康熙五十九年(1720),外面泽清荷香,茂林修竹。内部金匾银对,古碑林立,具有很高的历史研究和书法艺术研究价值。
武侯祠を通り歩き続けて、劉備三顧の礼、諸葛亮隆中対策の記念堂「三顧堂」である。三顧堂は清康熙五十九年(1720)に建てられ、外は沢清荷香、茂林修竹であって、内部金額銀、古碑が並んで、高い歴史研究と書道芸術研究価値を持っている。
过了三顾堂继续前行,是一座八角尖顶茅亭【诸葛草庐】。诸葛亮从17岁至27岁寓居隆中,草庐是诸葛亮日常生活的地方。草庐顶呈八角是取诸葛亮巧布八阵之意,木雕回廊,环绕四周。前额“诸葛草庐”,为1973年郭沫若手书。内额“诸葛庐”是1940年国民政府监察院院长于右任所书。后额“南阳诸葛庐“为清光绪二十年(1894)南阳知府傅凤飓所书。
出了草庐,往山上行约50米,是【卧龙深处】。卧龙深处建于清雍正七年(1729年),是诸葛亮和他的亲朋密友聚会畅怀处所。这里隆山怀抱,松鹤常鸣,庭园幽深清静。其内庞德公、黄承彦、庞统、少年诸葛亮等名人志士的塑像栩栩如生。两旁回廊里镶嵌着8块苍劲有力的石碑,一块饱经风霜的清雍正七年重修记事碑,傲然挺立在庭园中央。
三顾堂を通し歩き続けていると、八角尖頭茅亭「諸葛草廬」がある。諸葛亮が17歳~27歳のとき隆中に住んで、日常生活の場所だ。草廬頂が八角形をして諸葛亮八陣の巧を意味し、木彫回廊に囲まれている。前額にある「諸葛草廬」は1973年郭沫若が手書きしたものだ。内の額にある「諸葛廬」は1940年国民政府監査院院長于右任が書いたものである。後には「南陽諸葛廬」が彫刻され、清光緒二十年(1894)南陽府知事傅鳳飓が書いたものだ。草廬を出たら、山に上って約50メートル歩いて行くと、「臥龍の奥」である。臥龍の奥は清雍正七年(1729年)、諸葛亮の親戚や親友と会見したり飲んだりする場所だ。ここは隆山に囲まれ、松鶴常鳴、静かな庭園だ。その中に龐德公、黄承彦、龐統、少年諸葛亮など有名人の像が生き生きとして立っている。両側回廊に八枚の有力な石碑が立てられいる。庭園の中央には酸いも甘いも知り抜くの清雍正七年で修築された記事碑が傲然とまっすぐに立っている。
沿着卧龙深处的山路,继续上行约200米就是【腾龙阁】。腾龙阁总高十层,是近代后修建的建筑。腾龙阁的底层是供游人休息和吃饭的,第三、五、七、九层是瞭望台,第二、四、六、八层则是介绍诸葛亮生平事迹的。
臥龍の奥の山道に沿って、引き続き約200メートル上がっていくと「騰龍閣」だ。騰龍閣は10階建ての建物で、近代の後に建てられた。騰龍閣一階が観光客が休みと食事の場所で、第3、5、7、9階は展望台で、第2、4、6、8階は諸葛亮一生の事績を紹介する。